注意:ネタばれ
エイリアンアース シーズン1 レビュー・感想(ネタばれ)

『エイリアン:アース』は、2120年の地球を舞台に、ウェイランド=ユタニ社の宇宙船「USCSSマジノ号」が墜落し、ゼノモーフを含む5種の異星生命体が地球に拡散するという衝撃的な事件から物語が始まります。これまで宇宙空間の密室で描かれてきた“閉鎖的恐怖”から一転して、地球という広大な舞台で“感染”“拡散”“支配”という社会的スケールの恐怖が描かれることで、シリーズのテーマは「個人の恐怖」から「文明の崩壊」へと拡張され、整合性よりも象徴性を重視した構成が印象的です。
物語の中心には、プロディジー社が開発した“ハイブリッド”たちが存在します。彼らは病気の子どもの意識を人工の身体に移植された存在として描かれ、特に主人公ウェンディは12歳で亡くなった少女の記憶を持ち、機械の身体で生きる“人間以上の存在”として登場します。兄ハーミットとの再会を通じて人間性と怪物性の狭間で揺れながら、物語が進むにつれて“神性”のような存在へと変貌していきます。最終話では「Now we rule(今、私たちが支配する)」と宣言し、ハイブリッドたちが人類の支配構造を覆す象徴的な瞬間が描かれます。
ウェンディが人類に対して選別的な態度を見せる描写、すなわち「人間は殺すけど兄はオッケー」というスタンスは、彼女の感情や価値観の変化を象徴しており、その兄妹関係がウェンディの“人間性の残り火”として機能していることが物語に深い余韻を与えます。この選別は、倫理的な判断というよりも感情に基づいたものであり、彼女の“神性”と“人間性”の共存を強く印象づけます。
映像面では、マジノ号の内部構造が1979年のノストロモ号を忠実に再現しており、コールドスリープ室や医務室、AI「マザー」の部屋など、ファンにはたまらないディテールが随所に散りばめられています。未来の話にもかかわらず、ユタニ社のモニターが4:3のブラウン管仕様で描かれているなど、レトロフューチャー感を意図的に残した演出も印象的です。フェイスハガーの寄生シーンや緑の文字が流れるモニターなど、初代『エイリアン』へのオマージュが巧みに織り込まれており、シリーズの文法を“翻訳”するような演出が光ります。
本作は「不死」「進化」「支配」「倫理」といった現代的テーマを内包し、単なるモンスター・ホラーではなく、哲学的な問いかけを含む寓話的な構造を持っています。ウェンディたちハイブリッドは企業によって生み出された“商品”でありながら、感情と意志を持ち、やがて支配者へと変貌していく過程は、AIや遺伝子工学が進む現代社会への強いメタファーとなっています。監督ノア・ホーリーによる寓意的な演出が随所に活かされており、ウェンディの存在は“神話的な怪物”でありながら“少女の記憶”を持つという二重性が物語に深みを与えています。
時系列的には『プロメテウス』(2093年)や『コヴェナント』(2104年)より後の設定ですが、これらとの直接的なつながりは描かれておらず、シリーズの整合性よりもテーマ性を重視した構成となっています。一部のファンからはその点に批判もありますが、シリーズ自体が常に“再構築”を繰り返してきた歴史を考えれば、むしろ自然な流れとも言えるでしょう。
総じて、『エイリアン:アース』は従来の“怪物の暴力性”や“閉鎖空間の恐怖”を期待するファンには物足りなさを残しつつも、映像美・哲学性・寓話性を融合させた意欲的な作品であり、シリーズの新たな可能性を切り開いた一作として記憶に残ります。ウェンディというキャラクターを通じて、人間性の限界と再定義を描いた本作は、単なるドラマではなく、現代社会への問いかけとしても非常に価値のある作品だと感じました。


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